2022-05-01

強い決意のもとに何事かを始めてうまくいったことがないため、向いていないのだろうと思っている。それは単に決意や覚悟が足りなかっただけなのかもしれないが、とにかく向いていないのは確かだ。

強い決意をもって何事かに参画し主体的に取り組み結果を出して自分も大きく成長しました、みたいなストーリーが世の中には溢れていて、そういった価値観から言えば僕はクズである。

では何なら比較的うまくいったか。自分の好奇心から始めて探究心に火がつき、強い意思がなくても継続できたこと。あるいは気がついたら巻きこまれていて、いつの間にか自分の生活習慣が変わっていたようなこと。

主体的に自分を変えようとしたわけではない。いつの間にか別の自分が生まれていた。変容していた。

僕は主体性を尊ぶ。上の子供は既にして主体性の塊である。一方、主体性ばかりが持ち上げられる世の中は嫌いである。その二つは特に矛盾していない。

自分の話に戻ると、強い決意やそこから派生する主体性に頼らずいかに自己変容を組織するかがテーマになるかもしれない。

組織といっても意図的に行うのは難しいので、実際にできることは促したり、芽を作ったり、そんなことになるだろう。

2022-04-30

自分は仏教に終わりを求めていて、それは執着の終わりであったり苦の終わりであったりするのだが、それが問題なのかもしれない。何も終わることはないのだから。また、それは特定の境地を求めることでもあるから。そして世界の単純化でもある。

2022-04-30

筋トレは地味〜に続いているが、ヨガの方が楽しい。ヨガの方が自己目的的だからか。ヨガはそれ自体が目的だが、筋トレの目的は筋肥大や筋力の強化であって、筋トレはその手段になっている。

ヨガで筋肉がついたときの棚ぼた的な嬉しさもこれに起因しているのだろう。

 

というわけで筋トレはデッドリフトだけぼちぼち続けようと思う。

2022-04-30

リモートワークの圧倒的な虚しさ、みたいなことについて誰か何か言っていないのかと思った。リモートワークには生活上の実利が多く、また毎日出社したいとは全く思わないが、その底にはやはり空しさが流れていると思う。それとも単に個人的な問題か。

リモートワークの対となる概念として、「リモートホーム」を考えられるのではないか。今まで対面でやっていた家庭生活を、全てリモートでやることを余儀なくされる。子供とはテレビ会議で話すしかないし、奥さんとはLINEでしかやり取りできない。

…とここまで考えて、それは単身赴任だ、と気づいた。