左尻の硬さ・少子化

ウォーターサーバーに満々と水が湛えられているとなんだかリッチな気分になる。リッチな気分は案外安い。

 

左尻の硬さがローランジのやりやすさに影響を与えている、そんな気がする。プレーンも若干そっち側がひっかかる。なるほど、という感じ。色々なところがつながっていて面白い。

 

子供増やしたいなら富裕層から搾り取ってばら撒くしかないよな、と思っている。別に富裕層もロクな使い方しないしそっちの方がいいよ。多様なライフスタイルがある中で子供のいる世帯を優遇するのはどうなんだって?お前らの多様なライフスタイルのために国があるわけじゃないからな。まずは国益だろ。富国強兵、欲シガリマセン勝ツマデハ。

 

最近定期的に揚げ物やってるせいか、油の温度調節が上達している。

 

 

アーサナの段階・恋愛至上主義者の憂鬱

ローランジはなんとなく分かってきた。プレーンはもう一歩、エーカパーダウトゥカターサナはもう二歩というところか。

アーサナ自体に慣れる段階の次にそのアーサナを深めていける段階があり、自分が今どこにいるかを把握している必要がある。

習ってからそれなりに練習して、自分なりに「こういうことか?」と納得がいってからでないとモノにならない、そんな気がしている。

 

https://not-miso-inside.netlify.app/blog/book-review-1/

奥さんに紹介したところウケが良かった。こういう文章を楽しめる奥さんでよかった。

僕は該当の作品についてタイトルしか知らなかったのだが、奥さんから「何年かに一度ヒットする、ヒロインが死ぬ作品」と教えてもらって合点がいった。

その後、結婚における愛についてぼんやり考えた。それは最高の愛という形で盛り上がることもなければ、同様に著しく衰微することもない。もちろん多少のアップダウンはあるだろうし、一般的には徐々に冷めていくものかもしれないが、恋愛におけるそれとは異なった推移をもつものであるように感じられる。

いわゆる恋愛体質の人が結婚から遠ざかってしまうのは、恋愛に過大なロマンチシズムを抱いていて結婚をうまく接続できないからなのだろう。まあ、分からんでもない。恋愛至上主義の立場からみれば結婚生活の様々な側面は全て興ざめでしかないだろう。

 

運動とメンタル・サルシッチャ・カレー

最近インド料理を作ってない。生活に必須でない料理。

 

ローランジは体幹も意識したほうがよい。プランクのつもりでやった方が後ろの足を生かしやすい。

ちょっと爽快な気分になるだけならどんな運動でも可能だと思うが、下半身〜骨盤あたりの筋肉(奥さんの言うように抗重力筋なのか?)を使う運動は別格のメンタル効果がある気がする。特にローランジが強い。

 

サルシッチャが好きなのだが、このレシピにあるようにひき肉に適当に塩とハーブ混ぜればまあまあ美味しくなるのではないかという気がしてきた。

https://www.hotpepper.jp/mesitsu/entry/tsujimeshi/2020-00072?amp=1

なんならマジックソルトにクミン少々とかでもいいんじゃないかな。

 

久々に欧風カレー。ディナーカレーのプレミアムで作ってみた。

体調回復・買取王子

かなり元気になってきた。やっぱ朝のヨガは最高だぜフゥーフゥーフゥー!

色々なブームがあるが、ヨガブームの時のコンディションが一番いい気がする。あとは軽めにでも瞑想の習慣がつけばベストか。

 

引っ越し前なので本を売るために梱包した。本を所蔵することが自己イメージの一部でなくなってから久しい。

 

気がついたらなんかできそうになってたシリーズ

  1. アルダ・マツィエンドラアーサナ(座位のねじりのポーズ)で足を組む
  2. ウッティタ・ハスタ・パーダーングシュタアーサナ(立位で片足を前に出すやつ)
  3. カウンディニャアーサナI

宇宙旅行詐欺の夢・読書の足腰

謎の詐欺にひっかかる夢。

実家に一人でいると、3000円くらいで宇宙旅行に行けるという電話がかかってくる。ホイホイ出ていくと完全に視界を絶った上で謎の銀色の乗り物に乗せられ、オイオイこのまま宇宙に行って死ぬ可能性もあるのかと心配になる。しばらくするともうちょいまともな座席のあるスペースシャトル的なものに案内され、一緒にいたウルトラマン好きの知り合いの隣に座って荷物を座席の下に入れる。スペースシャトルの中にはカラオケがあったが肝心のウルトラマンの歌だけがなく、純粋にウルトラマンだけが好きな子供が乗ったら困るんじゃないかと同乗者と心配する。スペースシャトルはその辺の車より遅かったが、しばらくうろうろした後に降ろされる。実際の宇宙旅行は別らしい。実家に帰ってから両親に話しながらこれは詐欺だったのではないかと気付き、そう言ったところ心配される。この後はどうするんだと聞かれたのでいやこっちから連絡しなきゃそれで終わりだ、と言うとちゃんと決着をつけたほうがいいみたいなことを言われる。

最後のシーンでは実家のきざみうどんを食べていたような気もする。

 

何かをした果てに何かがある、という生き方はあまり良くない。

例えば僕はヨガをやっているが健康のためにやっているわけではない。目標にしているアーサナはあるがそれができたところで何がどうなるわけでもない。

果てに何もなくてもそれ自体が楽しいことをやるのがいいと思う。それがない人生を貧しい人生という。

  

体が火照って眠りづらいので、こういう時は読書だな…と思って読み始めた。

2021年このミス海外編の3位なのだが、重厚な歴史ミステリ長編ということでちょっと躊躇していた。Amazonレビューにも「途中で挫折した・しそうになった」という人がチラホラ。

眠くなることも半ば期待しつつ読み始めたのだが、いや、全然眠くならない。王政復古の時代のイギリスのことなんて知らないが、苦にならず読める。そして面白い。

そこで思い当たった。若い頃にいろいろ乱読したおかげで、そこらのミステリ好きとは読書における「足腰の強さ」が違うのだな…と。まあ、自慢するようなことでもないが。

そして今はヨガで足腰を鍛えています、というオチ。

思考偏重時代・結婚と中和

ヨガやら何やらをやっていて思うのは、自分の若い頃は完全に思考に偏しており、身体のことを無視して生きていたな、ということである。

もっと早く色々やっておけばと思わないこともないが、そういう時期があったからこそ今の自分があるのかもしれない。どうか。

まあ後悔してもしょうがないので、これからをできるだけ楽しく生きるしかない。

 

結婚というのは良くも悪くも自分を中和していく働きがあるので、逆に言えば結婚しない人は中和されない生を生き続けるのである。

結婚しない人がこじらせがちなのはそういうことだろう。どちらがいいという話ではない。