文学的なものから遠く離れて

EAA飲むと公称通り30分くらいで体に吸収されてきてる感があり、朝のヨガをいつもより追い込める…気がする。

何事もエネルギーがなくては始まらないので、こういうフィジカルな対応も有効なんだなと思った(追い込むために買ったわけではないけど)。

人間は自分の心に支配されているためメンタルを重視しがちだが、メンタルは睡眠や摂取物などフィジカルな要素に強く影響されているので、変にあれこれ考えるよりまずはその辺から整えるところから始めるべきなのだろう…と。

ツイッターで睡眠や食事をおろそかにしながら飲酒してる人がメンタル崩してるのをたまに見る(僕が観測してないだけでそういう人は沢山いるのだろう)。そんなもん病むに決まってるだろと僕は思ってしまうのだが、負のスパイラルから自分で抜け出すのはやっぱり難しいので、何らか外部からの刺激が必要なんだろうなと思う。偉そうなこと言ってるが、フィジカルを改善する条件と状況が誰にでも揃っているわけではない。それは認識している。

まあ時間のあるうちにフィジカルをできるだけ改善しておく、そして事態に備える。今はそのタイミングなのだと思っている。

 

こういう風になっていくと不健康=文学的なものからどんどん離れていくのだが、なんちゅうか、そういうの以外にも文学ってあってもいいんじゃない?ていうか既にあるんじゃない?と最近は思っている。

なんだろうね。病んだ情念=文学みたいのってそれはそれで単なる定型であり、一種の終わった、あるいは終わりつつある定型なんだろうと。

既存のコトバの外に出ていくのが小説だったり文学だったりするわけなので(僕の中では)、人間が変わればそこに文学が生まれる。人の内面が以前のようではなかったとしても。

 

初めて行った美容院で勧められたので、ワックスをつける練習をしてみることにした。時間があるうちに練習しておこうシリーズ。

理由は色々あるが、まあ加齢するに従ってボサボサ髪は大人としてどうかなとなってくるだろうし、単に見苦しくもなるだろうし、それで娘に嫌われたくないし(ここが本音か?)、ワックスをつけられないことで髪型に制限がかかるのもなんだかなーという感じだし、ワンチャン短くできたら洗髪を始めとして色々生活がラクになったりしないかな?という様々な感情と勘定が絡んだチャレンジなわけです。

 

メモ

単純に最終形のキープ時間を伸ばそうとするよりも、ステップをちゃんと踏みつつ各ステップをしっかり目にやる方が全体のキープ時間を伸ばしやすい(例:エーカパーダウトゥカターサナで腰に手を当てている状態から合掌してキープ、前に手を伸ばしてキープ、床に手を降ろしてちょっとキープ、再度手を伸ばしてキープ)